【リトル歴16年 / A.K】
「すれ違いの先にあった『歌う喜び』」
未就学の頃、歌って踊るのが好きだった私は、家ではうるさいといつも厄介者扱いされていた。
小学生になると「ずっと歌っていられる場所に興味はないか」という誘いで東京放送児童合唱団(現在のNHK東京児童合唱団)に入団することになった。
リトルキャロルができた1996年はまだ小学生だった。小学生だった私ができたばかりの卒団生の団体を知る由もなかった。
中学生になると、隣の席だった3つ上の先輩はいつも笑わせてくれる面白い先輩で仲良くなった。
高校生になると、卒団したその先輩が卒団生の合唱団に入ったと教えてくれた。今考えるとその時初めてリトルキャロルという団体を知ったはずだが、当時は親しんでいた先輩がいる卒団生の合唱団としか記憶しなかった。そして大学生になったらその先輩に相談しようと思っていた。
大学生になると、勉強とアルバイトに忙しく、また歌いたいと思いながら、目の前のことに精一杯になっていた。1つ上の先輩がある卒団生の合唱団に誘ってくれたが、それがちょうどテスト期間中だったこともあり、無下に断ってしまった。実はそれもリトルキャロルだった。
大学在学中にはリトルキャロルの物販の手伝いをしたこともある。既にN児の後輩も入団していて、舞台を成功させたメンバーは輝いていた。合唱から離れて何年も経った自分がそこに戻ることは無いだろうと感じた。
大学院生になると、2つ下の後輩がリトルキャロルに誘ってくれた。レコーディングをきっかけに大幅増員するという知らせだった。自分のペースで研究できるようになっていたため、その時はブランクを気にしながらも研究に支障をきたさない範囲でと慎重に参加することにした。こうして何度もリトルキャロルとすれ違っていながら、とうとう一員として歌うことになった。
ところが入団後、思っていた社会人サークルと違い、リトルキャロルに対するメンバーの思い入れがとても強くて、自分にはついていけないかもしれない、と辞めてしまった。初参加から半年も経たない頃だった。しかし、そんな薄情な私に対し、振付をする日に手伝いに来てほしいと声がかかった。ちょうど就職活動も恋愛もうまくいかなくて、自分の居場所がないような気持ちの時期だった。何ができるかわからず不安を抱えたまま、呼ばれるがまま練習に向かった。結局、練習ではどう役立てたかは覚えていない。けれど気さくに近況を聞いてくれる先輩たちに、なにもかもうまくいかずに自信を失っていることを打ち明けた。「じゃあ一緒に歌おうよ」そう言ってもらって、自分の薄情さを棚に上げて、リトルキャロルに戻してもらうことになった。本番まであと2ヶ月という時期だった。そしてリトルキャロルとして初めてコンサートに参加した。2010年マイケルジャクソンメドレーを演奏した年だった。
それでも、社会人サークルとしてリトルキャロルと一定の距離で付き合っていたいと思っていた私は2013年に夫の海外赴任と出産を機に一旦休団した。子育てが一段落するまで帰らないつもりであった。ところが、「次のコンサートがリトルキャロル最後のコンサートになる。せっかくだから一緒に歌おう」と声がかかった。2014年のことだ。その年は夫より先に日本に帰国、復職、第2子を出産し、赴任や出産で延期になっていた結婚式を挙げる予定があった。しかも夫が帰国するまでは実家のサポートを受けられるとはいえひとり親状態だ。親に年子の赤子の世話をお願いして練習に参加することは許してもらえなかった。自分が休んでいる間に進む練習、開く実力差に焦りを感じ、練習への参加を許されないことにもどかしさを感じた。秋になって夫が帰国すると、1番にリトルキャロルの復帰をお願いした。それからはどんなに暗い曲だろうと本番で歌う曲で子守をした。2014年レ・ミゼラブルを演奏した年だった。なんとかやり切ったが、リトルキャロル統括の麻衣ちゃんからコンサートの後に衝撃の一言。「来年もやりまーす!」家族会議の必要があった。
育児が本格的に始まると、自分のやりたいことを自分のペースでできない生活に鬱憤が溜まった。その中で家事でも育児でも仕事でもなく、間違いなくリトルキャロルは自分の「やりたいこと」だった。夫に続けてもいいか相談したところ「あなたの生きがいだから」とあっさり認めてもらった。にもかかわらず、当時は生きがいなんて大それたもんじゃないと思いながら、それで夫が納得してくれるならそういうことにしておこうと思った。
その頃、リトルキャロルは結婚ブームに次ぐベビーブームが起きていた。結婚や出産を機に辞めてしまうメンバーもいる中、戻るための努力をするメンバーもいた。当時、休んだ人のフォローはパート内で解決するように言われていたが、先に子供を産み、自分の都合で練習に参加できないつらさを知っている立場として、「休んだ分これだけやってきて」という思いでパートのグループラインに鬼連絡した時期もあった。テキストメッセージ、譜面の画像、練習音源。気付けばそうやって助け合って、今や大半のメンバーが子持ちだ。
20代のころはリトルキャロルの紹介に書かれている「歌う喜び」はただのきれいな言葉のように感じていた。しかし、育児やコロナ禍を経て、この言葉がしみじみと自分の中に染みわたってきた。歌う場所を作ってくれた創設メンバーに感謝し、歌う時間を作ってくれる家族やそれをサポートしてくれる周りの人々に感謝し、コンサートで足を運んでくださる皆さんに感謝し、そして何より初めにこの縁を作ってくれた親と東京放送児童合唱団に感謝する毎日だ。このたくさんの感謝を一言で表したのが「歌う喜び」だ。そして今ではリトルキャロルは間違いなく私の生きがいだ。

(編集より)
状況を整理し、進むべき方向を示してくれる A.K に、リトルキャロルはいつも助けられています。
彼女の献身的な働きかけが、気づけばみんなを前へ進めてくれています。