【リトル歴22年 / Y.M】
「歌がつないでくれた22年」
私がリトルキャロルと出会った大きなバックグラウンドは、幼稚園時代と児童合唱団時代のことなしでは語れませんので、少しだけ触れたいと思います。
合唱との出会いは幼稚園でした。
歌に力を入れている園だったこともあり、合同音楽祭に向けて毎日のように歌っていた記憶があります。
そのつながりの中で(旧)NHK東京放送児童合唱団の存在を知り、縁あって入団し、小学1年生から中学2年生までを過ごしました。
夏休みは練習のため、毎日のように渋谷へ通ったものでした。
(今ではちょっと考えられないですよね…小学生が一人で、時には夜まで!)
卒団後は8年間ほど合唱から離れていましたが、先にリトルキャロルに参加していた同期の親友の誘いで、2004年にリトルキャロルへ。途中2度ほどお休み期間を経て、今に至ります。
ブランク8年のリトルキャロル1年目は、イクスピアリで歌えるという素敵な本番当日に、見事に喉をつぶし(後にも先にもこの1度だけ!)、ピアノの譜めくりに徹したことは今でも鮮明に覚えています(笑)。
子どもの頃とは歌い方も違いますし、喉も体も使い方を忘れていて、無謀に歌っていた“つけ”がしっかり返ってきた瞬間でした。
あれから、もう22年。
この数字を見ると本当かなと疑いたくなりますが、振り返ってみると、ちゃんとその軌跡があるんです。
ライフステージが変わっても、そこにはずっとリトルキャロルがいてくれました。
自ら暗黒時代と称している、進路に迷いに迷っていたあの頃。
仕事に追われて、毎日深夜まで働いてしまう要領の悪さで自己嫌悪すぎたあの頃。
ホルモン(食べるほうじゃないですよ。笑)に負けて謎の絶望が突然襲ってくる日々。
遠回りしたり、迷ったり、もう逃げてしまいたくなったり。
あの時もっとこうしていたら、ああしていたらと無暗に悔んでしまうタチですが、その時の私は、その時なりに考えて選んだ最善の道を歩んできたからこそ、今の私があるのだとつくづく思います。
合唱どころじゃないのに、なぜか練習に行っていつも通り歌っていると、ずしーんと重かった心が信じられないくらい軽くなったり、涙が出てきたり。
児童合唱団時代からの同期が、無条件に私を仲間と認識してくれる。
そして、リトルキャロルのメンバーが、その輪の空気が、年の差やリトル歴を超えて、もう「みんなが仲間」なんです。
それは、メンバーそれぞれの物語があるなかで、どのページに行っても、リトルキャロルという共通の「しおり」を持っているような、不思議な次元ですし、30年の重みを感じざるを得ません。
歌に重きをおいた幼稚園に通えたこと、合唱団に入れたこと、リトルキャロルに誘ってもらえたこと、そして、私が歌うことを好きでい続けて、諦めなかったこと。
そのすべてが繋がっていて、その縁に心から感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、コロナ禍で「集まって歌うこと自体が悪」とされていたあの時、私は本気で「もう歌えないかもしれない」と思いました。
リトルキャロルを1年お休みすることが、たとえ復帰できたとしてもどれほど大変かを、2度、出戻った私は痛いほど知っていたから。
あの時歌わない選択をしたら、もう3度目の復帰は難しい——そう思っていました。
でもその時、「辞めないほうがいい」と言ってくれた家族がいてくれた。
その一言が、私にもう一度歌う勇気をくれました。
いまもこうして歌えているのは、あの時支えてくれた家族のおかげだと思っています。
本当にありがとうと伝えたいです。
またきっと「歌ってる場合じゃない」瞬間は訪れるかもしれない。
それでも、おばあちゃんになっても、リトルキャロルの仲間と歌っていたいと思います。
30周年記念コンサート、ゲストの皆さまの2026年の締めくくりに、心に残る一ページを添えられたら幸いです!


